名車に出会う③ 非電化区間の力持ちDD51(京都鉄道博物館) 

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(DD51形が重連運転する特別なトワイライトプレス)
 京都鉄道博物館に展示されているディーゼル機関車は2両。全国的に活躍した非電化区間の代表的な存在のDD51形と“悲運の機関車”と言われたDD54形です。どちらもかつて標準色とされていたオレンジ色の車体で一際目立ちます。通学していた小学校が山陰線沿いにあり、当時はまだ非電化。客車や貨車を牽引して通り過ぎる姿を校舎の窓や、運動場、通学路からよく眺めていました。まさに“トレインビュースクール”でした。
 当時、ディーゼル機関車といえばDD51形、DD54形のほかに、DF50形に出会う機会もありました。
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(京都鉄道博物館に展示されているDD51-756)
 なかでもDD51形は、国鉄が1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)までに649両を製造。一部を除き全国的に活躍しました。現役車両はだいぶ減りました。JR貨物等では完全に引退しましたが、JR東日本、西日本が臨時列車に使っており、DD51形が35系客車を牽引する山口線の「DLやまぐち号」は人気を集めています。
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(山陰線を行くDD51牽引の夜行急行「だいせん」)
 無煙化を促進するという役割が大きかったですが、速度はSLのC61形、牽引力ではD51を上回る設計。客貨両用の万能選手で、長編成の列車も多く、寝台特急やお召列車の牽引車としても活躍しました。全長18mと大型で、最高運転速度は95㎞、定格出力は番台によって違い、2000PS-2200PS。日本最速のSLのC62の最高運転速度129㎞には叶いませんが、最大出力は2163PSなので、同等の力持ちです。
 DD51形はディーゼル機関車の主役に上り詰めた車両。牽引していた優等列車では、山陰と東京を結ぶ寝台特急「出雲」に、東京観光目的で1度乗車しました。1972年(昭和47年)に運行開始。人気のブルトレを牽引していましたが、残念ながら利用客の減少で2006年(平成18年)に姿を消しました。
 すでに引退していますが、山陰と京都を結ぶ夜行急行「だいせん」や夜行普通「山陰」を牽引していたことも印象に残っています。 
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(京都鉄道博物館に展示されているDD54-33)
 DD54形は、国鉄が1968年(昭和43年)から1971年(昭和46年)までに製造されましたが、量産車ながらわずか40両で打ち切られました。エンジン等の主要機器は西ドイツから輸入したもので、斬新なデザインでした。福知山機関区や米子機関区に配属され、普通列車だけでなく、寝台特急やお召列車も牽引しました。
 しかし、設計ミスでトラブルが相次ぎ、短命に終わりました。出力に対して推進軸の強度不足が原因で、推進軸が落下したこともありました。学校の登下校時によく目にしたお気に入りの車両でしたが、友人と「山陰線のどこかの駅で、推進軸が折れて脱線転覆したようだ。もうすぐ走らなくなる」と学校帰りに話しながら帰宅したことを覚えています。
 DF50形も貫禄のある機関車でした。しかし、出力不足や故障も多く、評価は今一つだったようです。138両製造されました。 
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寝台特急「出雲」ヘッドマーク
(福知山鉄道館フクレルで)
 振り返ってみると小学生の頃は、一家に一冊は鉄道の時刻表があるのが当たり前の時代でした。いつの間にか時刻表が愛読書になっていました。当時、山陰線では無煙化のため、SLからディーゼルへと移り変わる時期で、ディーゼル機関車の全盛期でした。京都鉄道博物館でこの2両を目にすると同窓会で久しぶりに旧友に再会したようで、懐かしさがこみあげて心がときめきます。      (参考: Wikipedia)

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