運転休止後、半世紀 北丹鉄道の廃線跡訪ねる

a_202309050818101ff.jpg
 今から約100年前の1923年(大正12年)9月、北丹鉄道が京都府福知山市の福知山ー大江町河守間で営業を始めました。延長12・4㎞、駅数がわずか8つの鉄道で、大江町など沿線住民の通勤・通学や大江山にあった河守鉱山の鉱石を運び、地域の発展に貢献しました。
 当初はSLが客車や貨車を牽引していましたが、時代の流れでディーゼル化。旧国鉄・JRと同じ狭軌ながら、車両はこじんまりとしていて「マッチ箱」と親しまれました。速度は自転車並みと遅く、道路と並行して走る区間も多く、自転車に乗った少年が競争する姿もみられたといいます。
 福知山駅から宮津まで結ぶ計画でしたが、資金難などで延伸を断念。マイカーの普及や由良川の氾濫による度重なる浸水や河守鉱山も閉山して利用者が減る一方で、50周年が迫った1971年に運転休止に追い込まれました。
11_20230904162649bbd.jpg     33q.jpg 6 (1)

2 (1)     11_20230904162649bbd.jpg
 鉄道スポットとして紹介するのは福知山西駅があった場所にある西駅公園です。当初は、福知山町駅の名でしたが、約3カ月後に改称されました。本社と車庫が併設された北丹鉄道で最大規模の駅。駅前広場だった場所が公園化され、一時はC58形56機が静態保存されていましたが、福知山鉄道館ポッポランド2号館(現在、福知山鉄道館フクレル別館)に大型トレーラーで夜間に移設されました。
 今は北丹鉄道2号機(タンク式SL)のレプリカが展示されています。1923年(大正12年)に「汽車製造合資会社」で製造され、33年間活躍した車両です。結構、リアルです。
 「北丹鉄道本社跡」の石碑が建立され、歴史をとどめています。
88_20230904162731545.jpg
 北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の第2日藤トンネル跡から第1日藤トンネル跡に向けて撮影しました。国道175号と並行しています。トンネル内には明かりがつき、地元住民の生活路に使われているようです。
 北丹鉄道が廃線となりましたが、住民の悲願が実り、京都国体があった1988年、福知山ー宮津を結ぶ第3セクターの宮福鉄道が開業し、「マイレールウエイ」と喜ばれました。
 北近畿タンゴ鉄道宮福線、京都丹後鉄道宮福線と移り変わりました。北丹鉄道とルートが大きく変わり、大江町付近は築堤上に線路が敷設されました。昔のような水害によるダメージは大きく減りました。ただ、全国的な問題ですが沿線人口の減少とともに、利用者も少なくなっています。JR東日本からの譲渡による「キハ85」の運行など誘客に期待します。
 5_20230905091606fe8.jpg  3
 オープンしたばかりの福知山鉄道館フクレルで現在、特別企画展「北丹鉄道」が開かれ、貴重な写真や資料が並んでいます。2枚の写真は展示物です。転載はご遠慮願います。詳しくは福知山市(福知山鉄道館フクレル)ホームページで確認してください。
                        (参考:Wikipedia)

励ましにポチっと応援よろしくお願いします↓
にほんブログ村 鉄道ブログへ
鉄道ランキング 鉄道コム
スポンサーサイト